2022年5月26日木曜日

名台詞

 


名台詞

 

 時代小説が好きでいろいろな本を読んでいます。

 江戸市中で起きる様々な事件を解決していく捕り物や剣の道を目指す武士を主人公にした剣術ものなど面白い作品が数多くあります。

 中でも特に、職人や商人あるいはその日暮らしの下層の人々といった市井の人々を主人公とした作品、庶民の人情を描いたものが好みです。

 主人公のやさしさにジーンとくる、主人公の悔しさにグッとくるその感覚が好きです。

そんな中、数々読んだ時代小説から心に“心に響く名台詞”です。

 

― 真に強いもの:

 闘いの時、相手に目を向けたまま睨みあう。体力で圧倒して敵を疲れさせる者もいれば、相手の攻めるに任せてひたすら躱し続けるものもいる。剣の道を語るといった場面での言葉です。

 「真に強いものは圧勝しない。大勝、圧勝するものは大敗、惨敗することもある。真に強いものは常に勝つというより、常に負けない。」

 ビジネスの世界で毎日攻め続け、攻め疲れて動きが鈍る。その一瞬の隙を衝かれて惨敗する。何度となくこのような経験を重ね、つらい日々を送ってきたものだなあと考えさせられる言葉です。

 土台をしっかりと固め頭を使って考え、“常に負けない”こうありたいものです。

 

― 木鶏: 

 剣術道場主の息子が、仕えている家老の嫡男の剣の相手に選ばれた。だが、名誉あるお役目なので選ばれたのは親の威光と噂される。

 人とは厄介なものであるとしみじみ感じた時、父の綽名(あだな)を聞かされその本当の意味を知る。といった場面での言葉です。

 「木で彫った軍鶏(しゃも)、木彫りの軍鶏は何があろうとまったく動かない、闘鶏で最強の軍鶏だ。本当に強い人は大抵のことでは動じない。」

 噂されるということは、それがたとえ一部の人間であろうと、世間がどのように見ているかを知ることになる。

 憂鬱になることもあるが、毅然と正しくありたいと教えてくれた言葉です。こうありたいものです。

 

 また以下は、船の中で旅人が聞く市井の人々の会話から、“なるほど”と思った台詞です。

― 命の安売り:

 「食う事を軽く見る奴を信じちゃならねえ。寝るのと食うのは達者に生きる源だ。食う事にゼニを惜しむやつは、てめえの命を安売りするやつだと思え。」

 どちらが得か?などとばかり考えていた自分が恥ずかしくなります。

“命を大切に”こうありたいものです。

 

― 本質を見抜く目:

 「何事も見掛けの派手さはこけ落とし、芯がしっかりしているものは必ず相応の味わいを見せてくれる。世間では年齢や経験が重要な意味を持つことが多いが、時と場合による。

 何より大切なことは、本質を見抜く目を持つことだ、本質を見抜く目があるかどうかということだ」

 話題になっているとか人気があるとかに紛らわされずに、何事もゆっくりじっくり味わい自分には何が必要か?何が本質かを見抜く。こうありたいものです。

 

― しきたり:

 「しきたりとは、先人があらゆる知恵を絞って完成させた歴史であり伝統なのである。しきたりはいわば柱を支える確固たる土台。むやみにほじくり返しては柱を倒すことにもなりかねない。」

 常に新しいことばかり気になっていたことが恥ずかしくなります。歴史と伝統をしっかり学びしっかりとした柱を建てる、こうありたいものです。

 

 “今はこれが人気”、”こんなにお得“など、効率や損得ばかりがもてはやされる社会にやや疲れ気味になってきています。

 人気や話題に振り回されることなく、自分をしっかり顧みているだろうか?

自分には、このような台詞を語ることができるだろうか?何とも身につまされるような気がします。

 人を思いやるやさしい心、悔しさをグッとかみしめる心に感動しながら名台詞です。

2022年5月19日木曜日

侘寂


侘寂(わびさび)

 

コロナが少し下火になったのを確認して、苔寺として有名な京都西芳寺に行ってきました。

 

西芳寺はホームページによると、

“京都市西部に位置する臨済宗単立寺院で、山号を洪隠山と称します。境内を120余種の苔が覆っていることから、「苔寺」とも呼ばれています。足利義満や義政をはじめ、西芳寺を訪れて坐禅に励んだ者も多く、後に開山される金閣寺や銀閣寺など、室町時代を代表する庭園の原型になったといわれ国の特別名勝及び史跡に指定されています。”

といったお寺で、以前より大変興味を持っていたので参拝してきました。

 西芳寺は参拝される方々が増えるにつれ様々な問題が生じ、近隣住民の方々と協議を行ったそうです。

“観光ブームに乗じて闇雲に参拝者を増やすのではなく、寺院本来の宗教的雰囲気を保ち、皆様に心静かにお参りいただきたい”という願いがあり、往復はがきによる事前申し込みとなっていました。 

世界遺産にも登録されており、100種類を超える苔や枯山水式庭園、池泉回遊式庭園と日常を離れ古に思いをはせる大変美しい庭園です。

様々な苔の素晴らしさやその佇まい、庭園全体の静けさとその心洗われる空間、それはそれは素晴らしい時間を過ごすことができました。

またいろいろと調べてみると“侘寂”を感じさせる京都の名庭園とあり、まさにこの言葉がこの空間を表す最適な表現です。

そういえば今更ながら、侘寂(わびさび)とはどのような意味を持っているのか?本当の意味を知らないなあと感じた時に調べてみた“初めてその意味を知った言葉”です。

 

・侘寂

 

侘とは、不足の中に心の充足を見出そうとする美意識また不足の美を表現する新たな美意識。

単に粗末であるだけでなく美的に優れた物。

寂とは、寂しさの中に奥深いものや豊かなものが感じられる美しさ。

これ以上何も削れないという極限まで削って緊張感を生み出す。

  といった深い意味があるようです。

 

 西芳寺の庭園を眺めながら、自然との調和、自然の色合いなど心静かにお参りするといろいろなことに気づかされ考えさせられる訪問でした。

 毎日様々な喧騒の中、いろいろなものに囲まれながら、また様々な色や空気感の中で生活しています。

 そういえば、心の充実や美意識、奥深さや緊張感を感じたことはないなあ。物事に対する見方が貧しかった自分、身の回りを整理したつもりでもなお心の穏やかさを感じられない自分が恥ずかしくなりました。改めて、心静かにとは程遠い生活だなあと感じさせられました。

  

 不足の美意識、寂しさの中に奥深いもの、そしてそれらの豊かさを感じられる心の美しさをもっともっと感じながら生活していこう、“侘寂”

 

2022年5月13日金曜日

本質

 

本質

たまには今までに読んだことのないまったく新しいジャンルの本でも見てみるかと思想・文化の書棚をみていると、やけに気になる何冊かの本を発見、それぞれテーマは哲学でした。

 

その内の一冊を手にとり立ち読みすると、 “哲学は「本質」を洞察することで、その問題を解き明かすための「考え方」を見出す営みだ。”とありました。

 

なるほど、今までそのようなことは全く考えずに過ごしてきてしまったのが恥ずかしくなり、やけに気になったのかもしれません。

そこで、本当の意味を知りたくなり調べてみた“初めてその意味を知った言葉”です。

 

・哲学

 

哲学とは、「真理を探究する知的営み」。  

世界の根源や本質を見極めるための知的探究的な取組み、および、その知的探究を方法的に進めるための学問。

人生や世界、事物の根源のあり方や原理を理性によって求めようとする学問。

経験からつくりあげた人生観。

 

といった深い意味があるようです。

 

さらに哲学のすごさは、問題の本質を明らかにすることで、その問題を克服するための考え方を切り開く点にある。哲学とは、それはさまざまな物事の本質をとらえる営み。

 

とわかったようなわからないような。まだまだ学びが足らないなあ。

 

また、本質とは、そのものの持っている本来の性質や要素。本来の姿。

といった意味があるようです。

 

 学問的な探求だけではなく、様々な経験から得られたり道を究めて創りあげられた人生観も哲学と考えればしっくり理解できるような気がしました。

 また問題の“本質”を明らかにする考え方など、以前に綴ったエドガー・シャイン博士の著書Humble consulting:謙虚なコンサルティング”に通じるなあと感動しました。

 本質的な事柄を理性を持って求めることなどやったこともないにもかかわらず、“哲学”や“本質的に”など知らず知らずのうちに使っていた自分がいかに無知であるかをつきつけられた言葉でした。

 

 これからも”知るを楽しむ“、名誉や金銭ではなく経験から作り上げられた人生観で、常識だけではなく理性を持っていろいろと学んでいきたいものです。

 互いを尊重しながら自由に平和に生きる、それが“本質”

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