初めて知った:心に響く言葉
時代小説を読んでいると、美しい日本語や本当の意味がわからい言葉を多く発見することがあります。
例えば居酒屋の場面では、酒を温めるのに用いる容器銚釐(ちろり)、煙草を吸う場面では、キセルの火皿と吸い口とをつなぐ竹の管羅宇(らお)等々。
なにやら美しい響きを持つ日本語ですが、恥ずかしながら初めて聞くような言葉がでてきます。
その都度、長年生きてきたにもかかわらずあまりに知らないことが多い自分にショックを受けながら、様々な書物からいろいろな言葉や知識を得たいと考えています。
一方、友人と話していると結局自分の話や昔の話ばかり、せいぜい最近のニュースの話題と聞かされる方には面白くもない話だろうと思いつつ。
歳をとると自慢話が多くなるのは仕方のないことなのかなあ、知識もないのに何でも知ったかぶりするのも恥ずかしいなあと自覚した時に読んだ時代小説からの“初めて知った言葉”です。
・大知は愚のごとし、大功は拙のごとし、大弁は訥(とつ)のごとし
そこで“大知は愚のごとし”で調べてみると、
― 大知は愚のごとし:真の知者は、知識や知恵をむやみにひけらかすようなことはしないので、一見愚者のようにみえる。大賢は愚なるがごとし。知識を持つものは愚のように見せる。
― 大功は拙のごとし:真の名人は小手先を使ってよく見せようとはしないから、一見つたないように見える。功をなすものは拙のように振る舞う。
― 大弁は訥(とつ)のごとし:人の心を動かすようなすぐれた弁舌家は、余計なことを言わないから、かえって口べたのようにみえる。弁の立つものは押し黙るものである。
さらに、大勇は怯(きょう)なるがごとし。真に勇気のある者は、むやみに人と争わないから、ちょっと見ると臆病者のように見える。
といった深い意味を持つ言葉のようです。
相手を気遣いながら、気持ちを察しながらの物語からいろいろと気づかされた “初めて知った言葉”です。
ここから得た教訓は、“真の知者は、知識や知恵をむやみにひけらかすようなことはしない”ということ。
その時はわからないが、後で振り返ると自慢話ばかり、知ったかぶりばかりだった日頃の自分を戒めるようなそして反省させられる初めて知った言葉です。
長年生きてきたけれど初めて知ったこの言葉を心にとめながら、人とコミュニケーションをとっていこう!
知らないことが多すぎると気が付いたので、これからは大いに“知るを楽しもう”
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