美しさ
先日書店に行き、植物図鑑を購入しました。
街で目にする植物の名前もわからずにいたので、これでは面白くないと思い購入したものです。
写真を見ていると、この木はどこかで見たような、あそこに咲いていた花はこれかな?などと自然に触れているような気になります。
早朝の散歩で可憐に咲くいくつもの花を目にします。今まで特に気にしていなかった道端に色とりどりの小さな花が咲いていました。
花の写真から名前や特徴がわかるアプリがあることを知り試してみました。すると聞いたこともないような名前がすぐにわかりその特徴などが丁寧に説明されていました。すごい技術だなあと感心させられます。
さらに植物図鑑で調べてみると、花の時期や手入れ方法なども細かく知ることができます。
図鑑のページをめくることで結構楽しみが増え、心豊かになったような気がします。
可憐な花に見入っているとき、美しさに関する言葉を思い出しました。
時代小説に出てきた“初めて知った言葉”です。
・西施の顰みに倣う(せいしのひそみにならう)
物事の本質をとらえず、うわべだけむやみに人のまねをすることのたとえ。
「美人の西施が、病気で顔をしかめたところ、それを見た醜女が、自分も顔をしかめれば美しく見えるかと思い、まねをしたという「荘子」天運の故事から」
善し悪しも考えずに、人のまねをして物笑いになる。また、他人にならって事をするのをへりくだっていう言葉で顰みにならう。
この醜女は美しいを知るも、美しい意味が理解できていなかった、という意味だそうです。
「顰(ひそみ)」とは、眉間にしわを寄せて顔をしかめることを表すそうです。
元々は、中国の「荘子」にある次のような故事からの出典です。
”中国の春秋時代、越の国に西施(せいし)という美女がいた。
西施が胸を病み、顔をしかめているのを見た醜女が、自分も眉間にしわを寄せれば美しく見えると思い、里に帰ってそれを真似た。
それを見た人々は、あまりの醜さに気味悪がって、門を固く閉ざして外に出なくなったり、村から逃げ出してしまったという。
そこから、善し悪しも考えずに他人の真似をすることや、他人と同じ行動をする際、見習う気持ちであることを表す謙遜の言葉として、「顰に倣う(西施の顰みに倣う)」と言うようになった。”
人の行動を見ながら真似てみたり批判してみたりしていた自分を反省させられる深い意味があったのです。
これからは、うわべだけではなく本質的な善し悪しを見極め、物事の美しさを探していこう。