心の目で観る
一度ブログに載せたことがありますが、健康維持と精神的安定を求めてテニスを習っています。
週に一度一時間半程度、テーマ練習からダブルスの試合と楽しくやらせてもらっています。
上達はしなくとも現状維持を目標に続けています。
悲しいですが、昔はもう少し動けていたのに、こんなボール簡単に受けられたのになど、こんなはずではと思いながらも体力と相談しながらなんとか楽に楽しめないかと思っています。
テレビでプロの試合などを見てイメージトレーニングしているのですがイメージばかり先行し、まったく上達の気配すらない。そんな時読んだ時代小説にこんなセリフがありました。
“人は目でものを見る、だが見たものを留めるのは心だ。人が生きるということは、目で見たものを心に留めてゆくことの積み重ねであり、心もそれによって育っていき、心がものを見ることに長けてゆく。”
“目はものを見るだけだが、心は観たものを解釈する。その解釈が時には目で見るものと食い違ってくることだって出てくるものだ。“
そうか!イメージトレーニングとは目で見るだけではトレーニングになっていないのか!心に留め解釈していかなければならない、目で見たものとの食い違があっても。
自分ではそのようにしているつもりでも解釈に違いがあるのかもしれない。
このことは生活していくうえでまたビジネスの世界でも共通なのだろうと思います。
もう少し深く知りたく思った時に出会った時代小説からの“心に響く言葉”です。
観る
“「観る」とは、心の眼で見るという意味です。肉眼で見るのではなく心の目で見る。音や風、色までも心の目で見ることができるのです。“
“心の深さ。その人の心の深さに応じたレベルのものしか見えないということです。心の浅い人には浅いものしか見えない、または表面的なことしか見えないものです。心が深まるにつれて、深いところが見えてきます。”
“高いレベルのものを理解しようとするならば、意識のレベルを上げていかなければなりません。”
心の深さなど考えてみたこともなくいつも表面的なことしか見えてなかった自分を反省しながら、心の深さについて痛感させられた言葉です。
これからは高いレベルのものが理解できるよう様々な情報や周りを観察しながら”心の目“で観ながら、意識レベルを上げていこう。